吉岡里帆の高校・大学時代|書道家志望から女優になるまでの軌跡

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この記事では、女優・吉岡里帆さんが歩んだ学生時代の全貌をお伝えします。

出身高校である京都府立嵯峨野高等学校がどんな学校なのか、そして書道8段という知られざる才能を持ちながらなぜ女優の道へ進んだのか、その転機となった出来事を詳しく紹介します。

さらに、京都橘大学で書道家を目指しながら夜行バスで東京を往復し、4つのアルバイトを掛け持ちしながら夢を追い続けた大学時代のリアルな日々、そして女優活動を本格化させるまでの流れをまとめました。

目次

1. 吉岡里帆さんのプロフィールと出身地

まず、吉岡里帆さんの基本的なプロフィールから整理しておきましょう。

ドラマや映画で圧倒的な存在感を放つ吉岡里帆さん。

その出身地と家庭環境が、今の女優・吉岡里帆を作る大きな土台になっていたことをご存知でしょうか。

吉岡さんは京都の”映像の街”太秦で生まれ、幼い頃から芸術と映像が日常にある環境の中で育ちました。

名前は吉岡里帆(よしおか りほ)、1993年1月15日生まれ。出身地は京都府京都市右京区太秦(うずまさ)です。

2024年4月に長年所属したA-teamを退所し、現在はフラーム所属です。

太秦といえば、東映太秦映画村があることでも知られる、日本映画の歴史が刻まれた街。お父さんは映像会社を経営するカメラマンで、幼い頃から映画・演劇・歌舞伎・能・日本舞踊・落語など、多様な芸術文化に親しみながら育ちました。

こうした環境が、後の女優・吉岡里帆を自然な形で育てていったのは間違いないでしょう。

東映太秦映画村


2. 出身高校|京都府立嵯峨野高等学校

「吉岡里帆さんの高校ってどこ?」と気になっている方も多いと思います。

吉岡里帆さんの出身高校は、京都府立嵯峨野高等学校(こすもす科)。2008年4月に入学し、2011年3月に卒業しています。

嵯峨野高校は右京区に位置する公立高校で、偏差値は61〜74という京都府内でも指折りの進学校です。毎年京都大学合格者を20名近く輩出することでも知られています。

女優さんというイメージと進学校という組み合わせに意外性を感じる方もいるかもしれませんね。でも当時の吉岡さんは「将来は書道家になる」という目標を持つ、どちらかというと真面目な女子高生だったそうです。

ちょっとほっこりするエピソードも残っています。高校の修学旅行はシンガポールとマレーシアへの予定だったのですが、吉岡さんは前日にパスポートを紛失してしまい参加できなかったとか。今でも当時の友人たちからいじられるネタになっているそうですよ。

京都府立嵯峨野高等学校


3. 書道8段という知られざる才能

吉岡さんが進学校・嵯峨野高校を経て書道の専門課程へ進んだのには、幼い頃からの長い積み重ねがありました。

吉岡里帆さんは幼少期から20年以上にわたり書道を続けており、書道8段という本格的な腕前の持ち主です。

書道との出会いは7歳(小学2年生)のとき。体の弱かった幼い吉岡さんが友達の誘いで始めたのがきっかけでした。

そこからずっと中学・高校と書道に打ち込み続け、プロの書道家を目指すほどの腕前に成長。バラエティ番組でダウンタウンや坂上忍さんの前で書道を披露したこともあり、その腕前は「プロ級の八段」と紹介されました。

高校卒業後、書道家になるという夢を胸に選んだ進学先が、次の章でご紹介する京都橘大学でした。


4. 運命が変わった”あの映画現場”のひと言

書道家への道を着実に歩んでいた吉岡さんの人生を大きく動かした出来事がありました。映画『天地明察』のエキストラとしての参加です。

出典 TBS「天地明察」公式サイト

2012年公開の映画『天地明察』(滝田洋二郎監督・岡田准一主演)のエキストラに参加した際、滝田監督から直接かけられた「東京来たらいいのに!」というひと言が、その後の吉岡さんの行動を大きく変えることになります。

アルバイト先で「人手が足りないから」という理由でエキストラへの参加を頼まれた吉岡さん。ピンク色の着物姿で、街の人たちが空を見上げるシーンに参加し、1日8時間ほど空を見上げ続けたそうです。

その撮影現場で知り合った同志社大学演劇部の部員に誘われ、初めて学生演劇を鑑賞。演目はつかこうへいの『銀ちゃんが逝く』と『蒲田行進曲』でした。

この体験に大きな衝撃を受けた吉岡さんは、その場で劇団への入団を希望したものの、残念ながら断られています。それでも演劇への情熱は消えることなく、独学で演技の勉強を始めていきます。

そこに追い打ちをかけるように、滝田監督から「東京来たらいいのに!」という言葉をもらったことと、「テレビも映画も東京制作が主体」という現実への気づきが重なって、やがて東京の養成所へ通い始めるきっかけになっていきました。

出典 吉岡里帆 インスタグラム


5. 大学時代|書道家の夢と女優の夢のはざまで

高校卒業後、吉岡さんは書道家になるという夢を持ったまま大学へ進学します。でも、心の中ではもう一つの夢がじわじわと育っていました。

京都橘大学 文学部 日本語日本文学科 書道コースに進学した吉岡さんは、書道の勉強を続けながら、学生演劇や自主映画の世界にも飛び込んでいきます。

18歳のとき、同志社大学の友人の誘いで学生演劇へ参加し、唐十郎の『吸血姫』で主人公を演じました。これが演劇の世界への本格的な入口となります。

つかこうへい・三島由紀夫・唐十郎といった作品を上演する劇団の学生演劇のエネルギーに強く刺激を受けた吉岡さん。その後も自主映画の撮影に参加し、学生制作ドラマ『ショート・ショウ』(KBS京都)へも出演しています。

当時、吉岡さんはこんな言葉を残しています。

「書道はやめたくはないけれど、情熱が違う方向に行っていることに、その時期はすごく混乱していました」

この言葉に、当時の葛藤がにじみ出ていますね。


6. 夜行バスと4つのバイト|京都と東京を行き来した日々

女優への夢を追い始めた吉岡さんを待っていたのは、想像を超えるほどハードな毎日でした。

京都と東京を行き来するための費用を捻出するため、居酒屋・カフェ・歯科助手など多い時で4つのアルバイトを掛け持ちし、夜行バスで上京する生活を約5年間続けました。

大学の授業が終わったら舞台や映画の制作に参加し、アルバイトへ行き、夜行バスで上京して漫画喫茶でシャワーを浴びてオーディションを受け、またすぐ夜行バスで京都に戻る——そんな日々が5年ほど続いたそうです。

新幹線代すら節約して夜行バスを使い続けた吉岡さん。そのタフさと、女優になりたいという気持ちの強さには思わず胸が熱くなりますね。

こうして京都と東京を往復しながら演技経験を重ねていったことが、のちの女優業の土台になっていきました。


7. 女優活動本格化へ

書道家と女優、2つの夢の間で揺れながらも走り続けた吉岡さんは、ついに女優の道を選びます。

2013年にA-teamへ所属し女優活動を本格化。その後2024年にフラームへ移籍しています。大学在学中から女優活動を本格化させていきました。

デビュー後も、すぐに順風満帆だったわけではありません。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年)や劇場アニメ『バケモノの子』(2015年公開)のオーディションを受けるも、最終選考で落選が続きました。

それでも諦めなかった吉岡さん。2016年にNHK連続テレビ小説『あさが来た』への出演が転機となり、知名度が一気に上昇。同年『ゆとりですがなにか』(日本テレビ)で民放連続ドラマに初レギュラー出演を果たし、ゼクシィの9代目CMガールにも抜擢されて一気に注目を集めました。

7歳から続けてきた書道で培った集中力と忍耐力、そして夜行バスで通い続けた5年間の積み重ねが、女優としての確かな礎になっていったのだと思います。

出典 吉岡里帆 インスタグラム


まとめ

今回は吉岡里帆さんの高校・大学時代を中心に、女優活動を本格化させるまでの道のりをまとめました。

偏差値61〜74の進学校・嵯峨野高校で学びながら書道8段を取得し、映画『天地明察』のエキストラ参加と滝田監督の「東京来たらいいのに!」というひと言が大きな転機に。

京都橘大学 書道コースへ進学しながらも演劇の世界にのめり込み、書道家と女優という2つの夢の間で真剣に葛藤した大学時代。居酒屋・カフェ・歯科助手など最大4つのアルバイトを掛け持ちしながら夜行バスで約5年間東京を往復し続けた、その根性と行動力が今の吉岡里帆さんを作り上げたのでしょう。

「情熱が違う方向に行っていて、混乱していた」と正直に語っていた学生時代——その葛藤の深さが、今の演技の奥行きにもつながっているのかもしれませんね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

これからの吉岡里帆さんのご活躍も、ずっと応援していきたいと思います。

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